2011年8月11日木曜日
インスタントラバー 04.かたづける
真っ暗な部屋の中、二人分の影のうち一人がのそりと起き上がった。
「……あー……」
枯れた声。
起き上がった影ーー佐藤はベッドから離れ、キッチンでコップに水を汲んだ。そう言えば、水もほとんど飲んでいなかったのを思い出した。喉が痛い。
だというのにタバコのみの習性か、目がタバコを探した。少し離れたテーブルの上。そのすぐそばでデジタルの目覚まし時計が明滅して時間を教えてくれていた。
「……もう三時か。明日の講義は一限目からだったな」
すでに明日ではなく今日になっているのだが。
結局、その日は作った昼からずっと盛っぱなしだった。もう、下の人間が帰ってきたかなど考えもしなかった。食事も取らず、時折水だけ飲み、あとはただただひたすら触って動いた。
突き動かされていた。
気がつけばもうこんな時間。
ぐぅぅ……。
腹がなった。
「おー……。忘れてたな……」
半分無意識な状態だったので今になった空腹に気づいたのだ。そう言えば昨日の晩から何も食べていない。
インスタントラバーを見る。
それはベッドの上で横たわっていた。何も変わらず、下半身を汚して、作った時と変わらない微笑を浮かべていた。
さっきまでは〝行為〟にふさわしい、蒸気を帯びた顔をしていたのに。
頬を染め、
眉をひそめ、
吐息をもらし、
体位に合わせた動きをとって、
彼を見つめていたのに。
それは、空腹すら感じなかった。
「インスタント、だもんな」
作った昼からおおよそ十五時間。
正直に言えば興奮していた。こんなにいいものはないと思った。たぶん、愛していた。
頭の中がそれしか考えられなかったし、初めての〝行為〟は思っていたよりもずっとずっと気持ちよかったし、声こそ無けれど相手が自分の動きに反応してくれるのが嬉しかった。
なによりもそれが嬉しかったのだ。
自分の全てを、受け入れてくれるようで。
佐藤はベッドに腰掛け、コップを枕元の物置に起き、インスタントラバーのそばに寄り添った。まるで、恋人にそうするかのように、愛おしげに。
インスタントラバーもまた、佐藤を見て微笑んだ。
相変わらず、モナ・リザのような微笑み。
「違う……」
佐藤は思わずつぶやいた。
だが、インスタントラバーの笑顔は変わらなかった。
当たり前だ。なぜならばこれは。
なぜならばこれは。
「……」
時計の音が聞こえる。
冷蔵庫の響くような音。
遠くを走るバイクのエンジン音。
そして、胸の辺りが揺れるのを感じた。手の先がジンジンする。血が流れている。
なぜならば。
佐藤は語りかけた。
「いいのかよ、インスタントラバー」
こうやって半日以上も突き動かされて、自分のメシを心配している今。
メチャクチャにお前を使っておいて。今更。
そう、今更になって気付いたんだ。
「俺はお前を、こんな踏み台みたいに使ってる……」
インスタントラバーは答えない。
ただ微笑みを浮かべるだけだった。
まるで、彼を許すかの様に。
モナ・リザのような、優しい笑顔。
なんてこともない。
こんな、こんな。こんなインスタントな恋人が。
たとえ十五時間でも心の底から愛してると思えたこれが。
やっぱり偽物だったなんて。
「分かってことなんだけどな……」
頭を掻く。
「いや……分かってなかったんだ」
唇に触れる。
「分かってなくて、分かったふりして、それで」
顔を近づける。
「教えてもらったんだ」
くちづけ。
「ありがとうな」
インスタントラバーは微笑んでいた。
モナ・リザのように。
――――――――――◇――――――――――
佐藤は食事もタバコもやめ、バスルームに向かった。もうこれ以上、インスタントラバーに頼ることはやめようと思ったのだ。
もうこれ以上、何もない事にふけるのは、意味がないと思ったのだ。
バスルームに入ると、空のカップが足元に転がってきた。それを取り、ラベルにある処分方法を調べる。
④処分するには、首を締めてスイッチを押すこと。
「首……?」
佐藤が眉をひそめる。
ーー首にはインスタントラバーに関わる全ての情報が収録された、小さな機械があります。ここを壊すと、インスタントラバーは一瞬で水へと変換されます。あとに残るのはこの機械の破片ですので、この機械と当カップは各自治体の指示に従って処分して頂きますようお願いしますーー。
カップにはそう書いてあった。
佐藤は部屋に戻り、無言でインスタントラバーを観た。
インスタントラバーは明後日を観ていた。いや、向いていた。
カップを見直すと「二十四時間で液体に戻り始めるので注意してください」と書いてあった。作り始めてからおおよそ十五時間。あと九時間は人間のままをキープ出来るだろう。
あと九時間、待っていれば。
「……」
佐藤はテーブルに近寄り、タバコを取った。手の震えには、気付かないフリをした。
しかし。
「あれ?」
タバコは濡れて使い物にならなくなっていた。
部屋を見返すと、どうやら水が入ったコップを倒してしまったらしい。タバコを置いてあった辺りが水浸しで、テーブルの下にはさっきまで飲んでいたコップをが転がっている。
「ビビってんのかよ、俺は……」
自虐的に笑った所で、ふと気付いた。このコップはタバコの近くには置かなかったハズ。
確かベッドの脇にーー。
足元にコップが転がり当たる。
佐藤はタバコを握りつぶし、部屋に戻ってくずかごに捨てた。
そして、動かないままのインスタントラバーの上に馬乗りになる。
ぎ、とベッドがなった。
「……サンキューな」
インスタントラバーは微笑んでいた。
「バイバイ」
佐藤の部屋から、キュウと言う音がした。
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