2011年8月11日木曜日

インスタントラバー 02.つくる


「なになに、作り方に手順があんのね。①最初にカップを持って、好きな相手のイメージを念じる。……こんなんで出来るの?」 
 次の日。午前十時過ぎ。
 佐藤は起きて、シャワーを浴びて、パンツ一丁の状態でカップを見ていた。
 先述のとおり、インスタントラバーの外見はまさしくカップラーメン。外側にラベルがぐるりと貼ってあり、そこには商品ロゴや取扱説明書、そして製造方法が書いてあるのだ。
 カップを持ち上げ、ぶつぶつと作り方をつぶやいていく。
「……んで、②四十五リットルのお湯を用意して、沸騰したら中の材料をそのまま入れる。(開けたままひっくり返してください)③浴槽の蓋を閉め、三分待てば出来上がり。と……。風呂でやれって書いてある。風呂でしか出来んわ」
 四十五といえば相当な容量だ。確かに浴槽でしか溜めることが出来ない数字だろう。
 頭をかき、カップを持ったまま気だるそうに立ち上がる。足元に転がっていた二リットルのペットボトルを拾い上げ、バストイレ一体型のユニットバスへ向かう。
 さきほどのシャワーの水滴が、未だにバスタブ内に残っていた。
「三分で出来れば、そりゃ確かにインスタントだよなぁ。前もそう思ったけどよ」
 独り言。
 念のため、バスタブにシャワーをかけて残った髪の毛を流した。一瞬だけ洗うかとも思ったが、やはりそれは一瞬で、ペットボトルの蓋を開けた。
 佐藤はバスタブのふちに腰掛け、ペットボトルに水を汲み始めた。一杯になった所でバスタブへ流し、空になればまた汲む。これを二十二回。最後の一リットルは目分量でいいだろう。
 水音が響く。このマンションは郊外にあるので、周囲には何もない。あるのは畑ばかり。おかげで静かに過ごせる。
 唯一心配していた真下の人間は、起きた時にたまたま下から出て行く音が聞こえた。
 オートロックなので郵便やセールスが中に入ってくる心配もない。
 ……これで、いくらベッドが軋む音がしても、怒られはしまい。
「ヤル気まんまんじゃねーの、俺」
 二回目の水を流し込む。ペットボトルを逆さにしながら自虐的に笑う。
  ……まだ不思議は、彼の心の中にあった。
 
 どうして俺は、これを使いたいんだろうか。
 
 そして、使いたくないんだろうか。
 
 どうしてくれたんだろうか。
 
 どうして辻本だったんだろうか。
 
 どうしてこれだったんだろうか。
 
 昨晩の不思議な感覚はむしろ大きくなったとすら言える。いくつかの不思議が、今は疑問となって彼の心中を圧迫していた。
 六回目の水を流し込んだ。
 
 どうして使いたいのか。
「それは単純に年相応の盛り、みたいなものだろう」

 どうして使いたくないのか。
「それは……」
 辻元の顔が浮かぶ。
 
「っていうかフツーさ」
 わざと声に出してみた。わかってる。ここは一人暮らしのバスルームだ。誰も聞いてないし、聞かれるのは少し嫌だ。傍からみれば不気味なのもわかってる。
「女の子がこういうのくれるのかって話だよな。逆セクハラだよな。これで抜けっつってんだもんな。訴えたら勝てるよなぁ?」
  そのクエスチョンマークは誰に向けてなのか。
 口は閉じなかった。
「男からもらうってのなら分かるよ。プレゼントっつって」
「不健全だけど」
「でも女子からもらうよりははるかに健全だよな」
「なんのプレイだよ。嫌がらせかっちゅーねん」
「あ、嫌がらせか。それあるかも」
「罰ゲームとかでさ。あの時、中で話してたのはそういう感じの内容で」
「女子会とか言ってたから、その時に話になったんじゃねーの?」
「うちのゼミで彼女居ないの俺だけだし、ターゲットにしやすいとかでさ」
「みんなで金出しあって買ってさ、超無駄使いーとかって酒入ったテンションでさ」
「駅の近くのハンズで売ってるだろこれ。あそこらへんなら飲み屋も多いし」
「そんで辻本がなんかのゲームで負けちゃったんだよ」
「それがあっての昨日、ちょうど俺が一人でタバコ吸ってて、ちょうど良かったとかなんだって」
「罰ゲームじゃん、やりなよー。あいつちょうど一人じゃん。あ、独りの間違いかアハハーみたいな感じで」
「あの後、きっと俺の見えない所で笑ってるに違いない」
「超キョドってるし受けるーとか言って」
「女子高生かっつーの」
「だってそうじゃなきゃ辻本が俺にこんなのくれるわけねぇもん。なんかのイタズラなんだよ」
 二十二回目の水が流れ込んだ。
「……きっと」
  
   ――――――――――◇――――――――――

 佐藤は一度部屋に戻り、本棚を漁った。不揃いの漫画本と、レジュメの間からビニール袋につつまれた厚紙を取り出す。
 厚紙の中には、ゼミの集合写真。
 ぶすっとしたままの佐藤と、そのすぐ左後ろで不敵に笑う辻本。ゼミの人数が少ないおかげで、それぞれの顔まではっきりと分かる写真だった。
 一瞬躊躇した。
「まさかね」
 などと言いながらも、写真を手にバスルームへ向かう。
 バスルームではよく熱くなった四十五リットルのお湯が待っていた。
 そしてその傍。蓋が閉まったトイレの上には、例のカップ麺。

 ーーカップを持って、好きな異性のイメージを念じてーー

 カップを持ち上げ、佐藤は少し固まった。
 今、俺は、何をしようとしている?
 誰の顔を見ている?
 誰の顔で、何をしようとしているんだ?
 喉がぐびりと鳴った。
「待て。待て待て。落ち着け俺。クールになるんだ。素数はわからん」
  混乱しているのだろうか。きっとそうだろう。
 今の今まで、まるで初体験の時のようにドキドキしながらもワクワクしていた。素直に言えば楽しかったのだ。新しいおもちゃを試すような気分だった。
  しかし、こうやって実際に引き返せない、決定的な〝想像〟をしてしまうと、まさに逃げ場がなくなってしまう。
 今までのように、一人ボケツッコミでかいくぐることが出来ない。
 佐藤は、カップを置いた。
 そしてそのまま力なく部屋に戻り、
 冷蔵庫を開け、
 昨日残した缶チューハイのうち一本を取り出し、

 一気に飲み干した。

「……ぶはっ!」
 がつん! と冷蔵庫の上に空き缶を叩き置く。酒に強い佐藤も、三五0ミリリットルの一気飲みはさすがに応えたのだろう。顔が真っ赤っかだ。
 まるで湯気でも出そうな顔色のまま、ダッシュでバスルームまで戻る。右手にカップを、左手に写真を持ち、堅く目を瞑り、考えられる限り全力で、頭の中を彼女でいっぱいにした。
 
 細い身体、三白眼、少し茶けた長い髪、小さな輪郭、ニヤけた笑顔、タバコが嫌い、アルトボイス、関西弁、左頬にある小さなホクロ……。
 
「……!」
 どれくらい念じただろうか。時間はともかく、力一杯念じたあと、おもむろに、まさしくおもむろにカップを包んでいたビニールを破り捨て、蓋を開け、中身を全てお湯にぶちまけた。カップ麺によくある小さな調味料などなく、中は全て粉。いや、一瞬何かが光ったので機械もあったのか? ええいめんどくさい気にするな。とにかく開けたそのままをひっくり返し、風呂の蓋をパタパタと閉め、無意識にスマートフォンのタイマーをセットした。ここだけはカップ麺と一緒だ。これで終わりだ。
「……はぁ……はぁ……はぁ……。あー……ははは……やっちまった……」
 風呂の蓋を閉め、そのまま床に座り込む。空になったカップがコロコロとユニットバスを転がって行った。

   ――――――――――◇――――――――――

 三分後。
 恐る恐る蓋を開けてみると、そこにはたっぷりとあったお湯が一切無くなり、代わりに裸の辻本が鎮座していた。
 今にも起き上がってしゃべり出しそうな辻本が、三角座りの状態で狭いバスタブに入っている。小さい顔、長い髪、スリムな体つき。まさしくもって辻本そのものだ。
「うおお……これは……」
 触れてみる。暖かい。むしろすこし熱かった。体から湯気がたっているトコを見ると、やはりお湯から作ったのだと分かる。
 顔も、身体も、まさしくそのまま辻本だった。もちろん、彼女の裸など見たことがないので、普段見ているスタイルをそのまま反映したものだが。
 そのせいだろうか、各所にズレのようなものがあった。
「なんつーか……胸がデカイ」
 すぐにそこに目が行くあたり、さすが盛りの二十歳である。
 だがズレはそこだけではなかった。
「胸もデカいし、背も低いし、ほくろも反対だ。イメージ間違ったのかな……」
 もしくは、イメージの中に願望を混ぜてしまったか。
 床に転がったままのカップを取り、説明書きを読み直す。
 そこには、イメージ通りに出来ない事がありますと書いてあった。
「やっぱインスタントだもんな」
 頬をつついてみる。
 無表情のままだったが、すこし眉がゆがんだように見えた。〝行為〟に反応、というのはこういうことだろう。
 気がつけば、インスタントラバーは佐藤の顔を見ていた。
 顔を動かしても目で追ってくる。ということは、そいう機能だということだろう。先ほど光った何かがそうさせているのだろうか。
「見つめ合う事が出来るわけだ。おしゃべりできねえな、こりゃ」
 そもそもそんな機能はないのだが。
 インスタントラバーの使用方法は、何もセックスだけではない。例えば失ってしまった人や、遠く離れて会えない人に、形だけでも会いたいという願いを叶える道具としても需要がある。むしろ販売元としてはそちらをメインに売り出しているのだ。
 反応する、という時点でこっち方面もまた見込んでいたのは間違いないだろうが。
 しかしなんにせよ、彼は作ってしまった。
 辻元の、インスタントラバーを。
 気づいて居るのか、居ないのか。佐藤は少しにやけていた。

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