2011年8月11日木曜日
インスタントラバー 06.おまけ
「あたしさー。同じゼミに居る華原ちゃんが好きなんよね」
「んん? えーっと……?」
「ほら、いつもあたしの前に座ってるやん?」
「ああ、あの小さい子?」
「うん。可愛い。めっさ可愛い。でもエロい」
「エロ……い……かぁ」
「知らんのー? あの娘、いっつもふわふわした服着とるケド、めっさ胸あるで。多分Eはある」
「……マジで?」
「小そうてエロくて可愛いとか。女の子として最強やんか。あたしももっと背が低かったらなー……」
「あのさ、もしかしたらなんだけど」
「んー?」
「あのインスタントラバーって、最初にイメージを刷り込ませたのって、辻本?」
「……」
「っていうか、鏡見ながら、ちょっと修正入れた?」
「佐藤くん」
「なに?」
「オゴり、今夜ね」
「……分かったよ」
インスタントラバー 05.かえす
今日も五月晴れの爽やかな日だった。
大学キャンパスの三階にある、ゼミ用講義室。佐藤はそこのベランダで春の空を見上げていた。
講義も終わり、何もすることがなくなってしまった佐藤は、灰皿をどけてコンクリートフェンスにもたれかかっている。
メンソールの香りは漂っていない。これ以上、腹黒になることもないだろう。
そうしていると、前と同じように一人の女子がベランダに出てきた。
細い身体、三白眼、少し茶けた長い髪、小さな輪郭、ニヤけた笑顔、タバコが嫌い、アルトボイス、関西弁、左頬にある小さなホクロ。
辻本が手を挙げた。
「よっす、佐藤くん。試した?」
三白眼がニヤリと細くなる。イタズラそうで、似合う笑い方。
うん。間違いない。今度はちゃんと。
「感想言う前に、一個いいか?」
「んー?」
「……辻本」
辻本の手を取り、佐藤は言った。
「好きだ」
三白眼が、大きく開く。
そして、再び細く笑う。
今度はイタズラそうじゃない。うるおいを持った、でもとても似合う笑い方。
「……あたしも」
辻本の手に力がこもった。
佐藤もまた強く、しかし折れない程度に握り返す。
ああそうだ。これが欲しかったんだ。
あとは四つ目に気をつけないとな。
おわり。
インスタントラバー 04.かたづける
真っ暗な部屋の中、二人分の影のうち一人がのそりと起き上がった。
「……あー……」
枯れた声。
起き上がった影ーー佐藤はベッドから離れ、キッチンでコップに水を汲んだ。そう言えば、水もほとんど飲んでいなかったのを思い出した。喉が痛い。
だというのにタバコのみの習性か、目がタバコを探した。少し離れたテーブルの上。そのすぐそばでデジタルの目覚まし時計が明滅して時間を教えてくれていた。
「……もう三時か。明日の講義は一限目からだったな」
すでに明日ではなく今日になっているのだが。
結局、その日は作った昼からずっと盛っぱなしだった。もう、下の人間が帰ってきたかなど考えもしなかった。食事も取らず、時折水だけ飲み、あとはただただひたすら触って動いた。
突き動かされていた。
気がつけばもうこんな時間。
ぐぅぅ……。
腹がなった。
「おー……。忘れてたな……」
半分無意識な状態だったので今になった空腹に気づいたのだ。そう言えば昨日の晩から何も食べていない。
インスタントラバーを見る。
それはベッドの上で横たわっていた。何も変わらず、下半身を汚して、作った時と変わらない微笑を浮かべていた。
さっきまでは〝行為〟にふさわしい、蒸気を帯びた顔をしていたのに。
頬を染め、
眉をひそめ、
吐息をもらし、
体位に合わせた動きをとって、
彼を見つめていたのに。
それは、空腹すら感じなかった。
「インスタント、だもんな」
作った昼からおおよそ十五時間。
正直に言えば興奮していた。こんなにいいものはないと思った。たぶん、愛していた。
頭の中がそれしか考えられなかったし、初めての〝行為〟は思っていたよりもずっとずっと気持ちよかったし、声こそ無けれど相手が自分の動きに反応してくれるのが嬉しかった。
なによりもそれが嬉しかったのだ。
自分の全てを、受け入れてくれるようで。
佐藤はベッドに腰掛け、コップを枕元の物置に起き、インスタントラバーのそばに寄り添った。まるで、恋人にそうするかのように、愛おしげに。
インスタントラバーもまた、佐藤を見て微笑んだ。
相変わらず、モナ・リザのような微笑み。
「違う……」
佐藤は思わずつぶやいた。
だが、インスタントラバーの笑顔は変わらなかった。
当たり前だ。なぜならばこれは。
なぜならばこれは。
「……」
時計の音が聞こえる。
冷蔵庫の響くような音。
遠くを走るバイクのエンジン音。
そして、胸の辺りが揺れるのを感じた。手の先がジンジンする。血が流れている。
なぜならば。
佐藤は語りかけた。
「いいのかよ、インスタントラバー」
こうやって半日以上も突き動かされて、自分のメシを心配している今。
メチャクチャにお前を使っておいて。今更。
そう、今更になって気付いたんだ。
「俺はお前を、こんな踏み台みたいに使ってる……」
インスタントラバーは答えない。
ただ微笑みを浮かべるだけだった。
まるで、彼を許すかの様に。
モナ・リザのような、優しい笑顔。
なんてこともない。
こんな、こんな。こんなインスタントな恋人が。
たとえ十五時間でも心の底から愛してると思えたこれが。
やっぱり偽物だったなんて。
「分かってことなんだけどな……」
頭を掻く。
「いや……分かってなかったんだ」
唇に触れる。
「分かってなくて、分かったふりして、それで」
顔を近づける。
「教えてもらったんだ」
くちづけ。
「ありがとうな」
インスタントラバーは微笑んでいた。
モナ・リザのように。
――――――――――◇――――――――――
佐藤は食事もタバコもやめ、バスルームに向かった。もうこれ以上、インスタントラバーに頼ることはやめようと思ったのだ。
もうこれ以上、何もない事にふけるのは、意味がないと思ったのだ。
バスルームに入ると、空のカップが足元に転がってきた。それを取り、ラベルにある処分方法を調べる。
④処分するには、首を締めてスイッチを押すこと。
「首……?」
佐藤が眉をひそめる。
ーー首にはインスタントラバーに関わる全ての情報が収録された、小さな機械があります。ここを壊すと、インスタントラバーは一瞬で水へと変換されます。あとに残るのはこの機械の破片ですので、この機械と当カップは各自治体の指示に従って処分して頂きますようお願いしますーー。
カップにはそう書いてあった。
佐藤は部屋に戻り、無言でインスタントラバーを観た。
インスタントラバーは明後日を観ていた。いや、向いていた。
カップを見直すと「二十四時間で液体に戻り始めるので注意してください」と書いてあった。作り始めてからおおよそ十五時間。あと九時間は人間のままをキープ出来るだろう。
あと九時間、待っていれば。
「……」
佐藤はテーブルに近寄り、タバコを取った。手の震えには、気付かないフリをした。
しかし。
「あれ?」
タバコは濡れて使い物にならなくなっていた。
部屋を見返すと、どうやら水が入ったコップを倒してしまったらしい。タバコを置いてあった辺りが水浸しで、テーブルの下にはさっきまで飲んでいたコップをが転がっている。
「ビビってんのかよ、俺は……」
自虐的に笑った所で、ふと気付いた。このコップはタバコの近くには置かなかったハズ。
確かベッドの脇にーー。
足元にコップが転がり当たる。
佐藤はタバコを握りつぶし、部屋に戻ってくずかごに捨てた。
そして、動かないままのインスタントラバーの上に馬乗りになる。
ぎ、とベッドがなった。
「……サンキューな」
インスタントラバーは微笑んでいた。
「バイバイ」
佐藤の部屋から、キュウと言う音がした。
インスタントラバー 03. つかう
ひとしきりインスタントラバーを眺めたあと、佐藤はベッドに持ち出すことにした。それなりにある重さから、いわゆるお姫様抱っこしかないだろう。誰にも見えてないとは言え、なんとなく恥ずかしいところだ。
「そもそも、女子ってのはお姫様抱っこしてもらいたいもんなのかな」
などとつぶやきながら首と膝の裏に手をいれたところ、無表情のままインスタントラバーが身をよせてきた。両手を佐藤の首に回し、微力ながら力を込める。
「便利だなー。一体どうなってんだろ」
力を込める。
「重ッ……!」
四十五リットルの容量があるのだ。運動不足の大学生に、全く軽いという事はないだろう。
なんとか持ち上げる。辻元の顔が、目の前にきた。
無表情の顔が、こちらを見ている。
「ちょっとこえぇ……」
そう呟くと、インスタントラバーが反応したのか、少し笑った。優しく微笑む、まるでモナ・リザみたいな笑い方。これも反応というやつだろう。
バスタブから持ち上げ、バスルームを出る。乱雑なままの部屋を進み、ベッドにおろした。
さきほどまで自分が寝ていたベッドに、今、あの辻元が裸で寝ている。一糸まとわぬ姿というやつだ。
「……リアルだな。辻本とはやっぱ少し違うケド、辻本にソックリだもん」
少し。いや、だいぶ気恥ずかしい。
一度インスタントラバーから離れ、再び冷蔵庫へ。残っていた最後の缶チューハイを取り出した。これが最後の一缶だ。
ベッドの脇に立ち、缶を開け、飲みながらインスタントラバーを眺める。しわくちゃのシーツに乱れた毛布。その上に、裸の辻本。
非日常、という感じがした。
同じゼミで、背が高くて、関西弁のやたら目立つ女。それが辻本だった。
特に何か関係があるわけでもない。何か思惑がある訳でもないだろう。そんな女を創りだして、何になるというのだろうか。しかも自分の欲望で。バレればセクハラでは済まされない。下手すれば千切られてしまう。出来てもいないのに。
どうして俺は、辻本で作ったんだろう。
欲しかったのか。
会いたかったのか。
抱きたかったのか。
どれもこれも、なんだか分からない。曖昧だ。
かと言って辻本以外で考えつく女も居ない。ゼミの女では辻本以外は覚えがないし、他に知り合いも居ない。バイト先も運送会社で男ばかり。唯一の女といえば、今年初孫が生まれる社長夫婦の奥さんぐらいだ。テレビもそう見ないからタレントも分からないし、雑誌のグラビアアイドルも、いまいち想像つかない。
……知ってる女と言えば、辻本だけだ。
だとすればこれは裏切りじゃないだろうか。こんなマガイモノを作って、自分を満たすなんて、どうかしてる。
でもそのきっかけを作ったのは……。
「考えすぎなの、か」
かも知れない。
現実よりは少し大きめの胸に触ってみた。
インスタントラバーの顔が、ピクリと歪む。
「そういう機能ってことなんだろうな……」
ついこの間、バイト代をはたいて行った風俗のお姉ちゃんを思い出した。あの時よりは幾分か無愛想だ。あちらが大仰だったのかも知れない。
わかってはいたが、佐藤は視線を自らに移した。案の定、年相応の反応を見せてくれて居る。
「なんでもいいのかな、俺」。
とはいえこれはただのインスタントラバー。ダッチワイフだ。そういうために作られた人形。インスタントの恋人。カップ麺と同じ。
即席の恋人。
即席の愛情。
即席の交尾。
「……ここまで来たんだ。もったいねえだろ」
そう言ってから、残りを飲み干し、残っていたパンツを脱ぎ捨てベッドにに乗った。インスタントラバーに馬乗りになる形だ。二人分の体重を受け、ぎ、とベッドが音をたてる。
自分が思っているよりも、少し可愛く、少し魅力的に、少しアベコベに出来たインスタントラバー。
あの華奢で、触れたら折れそうで、でも折れそうにない辻本が、こんな風に出来たのは、どうしてだろう。
これが、俺にとっての辻元なんだろうか。
自分自身を見ればわかることだ。答えは出ている。こんなにもヤる気になっている自分が、そのままの答えだ。
指で、唇に触れる。
瑞々しかった。少し熱を帯び、桃色のグロスを塗ったような輝きがあった。
インスタントラバーはと言えば、さきほどの笑顔を固定したまま、自動的に視線で佐藤の顔を追っている。
そのままインスタントラバーに覆いかぶさるように重なり、そのまま頬と頬を重ねる。
ひんやりとした感触。
頬同士を合わせたまま、手を動かし、胸を触る。
「っ……」
吐息を感じた。言葉こそ出ずとも、そういう機能はあるようだ。
そう、機能が。
「これは、インスタントラバーだ」
佐藤はそうつぶやいて、インスタントラバーの脚を思いきり持ち上げた。
――――――――――◇――――――――――
動きながら、佐藤は色んな事を考えた。
本物もこんな時、こんな表情するのかな、とか。
もうすでに誰かに見せたのかな、とか。
もしかしたら、今日、今、しているのかな、とか。
どうして俺は辻本を知ってるんだろう、とか。
他のゼミ生は知らないし、今でも興味がないのに、なぜ辻本だけ。
気がつけば、目で追っていた。だって目立つから。
気がつけば、耳をそばだてていた。だって関西弁だから。
気がつけば、名前を覚えていた。だって母の旧姓と同じだから。
気がつけば、話すようになっていた。だって時々会うから。
気がつけば、そのシルエットを覚えていた。だって、目で追っていたから。
気がつけば、冗談を言えるようになっていた。だって、関西弁で親しみやすかったから。
気がつけば、彼女の裸を作っていた。だって、
だって、
だって、
……。
どうしてこれをくれたのかな。
意地悪だな。
でも、やっぱ。
きっと。
「そもそも、女子ってのはお姫様抱っこしてもらいたいもんなのかな」
などとつぶやきながら首と膝の裏に手をいれたところ、無表情のままインスタントラバーが身をよせてきた。両手を佐藤の首に回し、微力ながら力を込める。
「便利だなー。一体どうなってんだろ」
力を込める。
「重ッ……!」
四十五リットルの容量があるのだ。運動不足の大学生に、全く軽いという事はないだろう。
なんとか持ち上げる。辻元の顔が、目の前にきた。
無表情の顔が、こちらを見ている。
「ちょっとこえぇ……」
そう呟くと、インスタントラバーが反応したのか、少し笑った。優しく微笑む、まるでモナ・リザみたいな笑い方。これも反応というやつだろう。
バスタブから持ち上げ、バスルームを出る。乱雑なままの部屋を進み、ベッドにおろした。
さきほどまで自分が寝ていたベッドに、今、あの辻元が裸で寝ている。一糸まとわぬ姿というやつだ。
「……リアルだな。辻本とはやっぱ少し違うケド、辻本にソックリだもん」
少し。いや、だいぶ気恥ずかしい。
一度インスタントラバーから離れ、再び冷蔵庫へ。残っていた最後の缶チューハイを取り出した。これが最後の一缶だ。
ベッドの脇に立ち、缶を開け、飲みながらインスタントラバーを眺める。しわくちゃのシーツに乱れた毛布。その上に、裸の辻本。
非日常、という感じがした。
同じゼミで、背が高くて、関西弁のやたら目立つ女。それが辻本だった。
特に何か関係があるわけでもない。何か思惑がある訳でもないだろう。そんな女を創りだして、何になるというのだろうか。しかも自分の欲望で。バレればセクハラでは済まされない。下手すれば千切られてしまう。出来てもいないのに。
どうして俺は、辻本で作ったんだろう。
欲しかったのか。
会いたかったのか。
抱きたかったのか。
どれもこれも、なんだか分からない。曖昧だ。
かと言って辻本以外で考えつく女も居ない。ゼミの女では辻本以外は覚えがないし、他に知り合いも居ない。バイト先も運送会社で男ばかり。唯一の女といえば、今年初孫が生まれる社長夫婦の奥さんぐらいだ。テレビもそう見ないからタレントも分からないし、雑誌のグラビアアイドルも、いまいち想像つかない。
……知ってる女と言えば、辻本だけだ。
だとすればこれは裏切りじゃないだろうか。こんなマガイモノを作って、自分を満たすなんて、どうかしてる。
でもそのきっかけを作ったのは……。
「考えすぎなの、か」
かも知れない。
現実よりは少し大きめの胸に触ってみた。
インスタントラバーの顔が、ピクリと歪む。
「そういう機能ってことなんだろうな……」
ついこの間、バイト代をはたいて行った風俗のお姉ちゃんを思い出した。あの時よりは幾分か無愛想だ。あちらが大仰だったのかも知れない。
わかってはいたが、佐藤は視線を自らに移した。案の定、年相応の反応を見せてくれて居る。
「なんでもいいのかな、俺」。
とはいえこれはただのインスタントラバー。ダッチワイフだ。そういうために作られた人形。インスタントの恋人。カップ麺と同じ。
即席の恋人。
即席の愛情。
即席の交尾。
「……ここまで来たんだ。もったいねえだろ」
そう言ってから、残りを飲み干し、残っていたパンツを脱ぎ捨てベッドにに乗った。インスタントラバーに馬乗りになる形だ。二人分の体重を受け、ぎ、とベッドが音をたてる。
自分が思っているよりも、少し可愛く、少し魅力的に、少しアベコベに出来たインスタントラバー。
あの華奢で、触れたら折れそうで、でも折れそうにない辻本が、こんな風に出来たのは、どうしてだろう。
これが、俺にとっての辻元なんだろうか。
自分自身を見ればわかることだ。答えは出ている。こんなにもヤる気になっている自分が、そのままの答えだ。
指で、唇に触れる。
瑞々しかった。少し熱を帯び、桃色のグロスを塗ったような輝きがあった。
インスタントラバーはと言えば、さきほどの笑顔を固定したまま、自動的に視線で佐藤の顔を追っている。
そのままインスタントラバーに覆いかぶさるように重なり、そのまま頬と頬を重ねる。
ひんやりとした感触。
頬同士を合わせたまま、手を動かし、胸を触る。
「っ……」
吐息を感じた。言葉こそ出ずとも、そういう機能はあるようだ。
そう、機能が。
「これは、インスタントラバーだ」
佐藤はそうつぶやいて、インスタントラバーの脚を思いきり持ち上げた。
――――――――――◇――――――――――
動きながら、佐藤は色んな事を考えた。
本物もこんな時、こんな表情するのかな、とか。
もうすでに誰かに見せたのかな、とか。
もしかしたら、今日、今、しているのかな、とか。
どうして俺は辻本を知ってるんだろう、とか。
他のゼミ生は知らないし、今でも興味がないのに、なぜ辻本だけ。
気がつけば、目で追っていた。だって目立つから。
気がつけば、耳をそばだてていた。だって関西弁だから。
気がつけば、名前を覚えていた。だって母の旧姓と同じだから。
気がつけば、話すようになっていた。だって時々会うから。
気がつけば、そのシルエットを覚えていた。だって、目で追っていたから。
気がつけば、冗談を言えるようになっていた。だって、関西弁で親しみやすかったから。
気がつけば、彼女の裸を作っていた。だって、
だって、
だって、
……。
どうしてこれをくれたのかな。
意地悪だな。
でも、やっぱ。
きっと。
インスタントラバー 02.つくる
「なになに、作り方に手順があんのね。①最初にカップを持って、好きな相手のイメージを念じる。……こんなんで出来るの?」
次の日。午前十時過ぎ。
佐藤は起きて、シャワーを浴びて、パンツ一丁の状態でカップを見ていた。
先述のとおり、インスタントラバーの外見はまさしくカップラーメン。外側にラベルがぐるりと貼ってあり、そこには商品ロゴや取扱説明書、そして製造方法が書いてあるのだ。
カップを持ち上げ、ぶつぶつと作り方をつぶやいていく。
「……んで、②四十五リットルのお湯を用意して、沸騰したら中の材料をそのまま入れる。(開けたままひっくり返してください)③浴槽の蓋を閉め、三分待てば出来上がり。と……。風呂でやれって書いてある。風呂でしか出来んわ」
四十五といえば相当な容量だ。確かに浴槽でしか溜めることが出来ない数字だろう。
頭をかき、カップを持ったまま気だるそうに立ち上がる。足元に転がっていた二リットルのペットボトルを拾い上げ、バストイレ一体型のユニットバスへ向かう。
さきほどのシャワーの水滴が、未だにバスタブ内に残っていた。
「三分で出来れば、そりゃ確かにインスタントだよなぁ。前もそう思ったけどよ」
独り言。
念のため、バスタブにシャワーをかけて残った髪の毛を流した。一瞬だけ洗うかとも思ったが、やはりそれは一瞬で、ペットボトルの蓋を開けた。
佐藤はバスタブのふちに腰掛け、ペットボトルに水を汲み始めた。一杯になった所でバスタブへ流し、空になればまた汲む。これを二十二回。最後の一リットルは目分量でいいだろう。
水音が響く。このマンションは郊外にあるので、周囲には何もない。あるのは畑ばかり。おかげで静かに過ごせる。
唯一心配していた真下の人間は、起きた時にたまたま下から出て行く音が聞こえた。
オートロックなので郵便やセールスが中に入ってくる心配もない。
……これで、いくらベッドが軋む音がしても、怒られはしまい。
「ヤル気まんまんじゃねーの、俺」
二回目の水を流し込む。ペットボトルを逆さにしながら自虐的に笑う。
……まだ不思議は、彼の心の中にあった。
どうして俺は、これを使いたいんだろうか。
そして、使いたくないんだろうか。
どうしてくれたんだろうか。
どうして辻本だったんだろうか。
どうしてこれだったんだろうか。
昨晩の不思議な感覚はむしろ大きくなったとすら言える。いくつかの不思議が、今は疑問となって彼の心中を圧迫していた。
六回目の水を流し込んだ。
どうして使いたいのか。
「それは単純に年相応の盛り、みたいなものだろう」
どうして使いたくないのか。
「それは……」
辻元の顔が浮かぶ。
「っていうかフツーさ」
わざと声に出してみた。わかってる。ここは一人暮らしのバスルームだ。誰も聞いてないし、聞かれるのは少し嫌だ。傍からみれば不気味なのもわかってる。
「女の子がこういうのくれるのかって話だよな。逆セクハラだよな。これで抜けっつってんだもんな。訴えたら勝てるよなぁ?」
そのクエスチョンマークは誰に向けてなのか。
口は閉じなかった。
「男からもらうってのなら分かるよ。プレゼントっつって」
「不健全だけど」
「でも女子からもらうよりははるかに健全だよな」
「なんのプレイだよ。嫌がらせかっちゅーねん」
「あ、嫌がらせか。それあるかも」
「罰ゲームとかでさ。あの時、中で話してたのはそういう感じの内容で」
「女子会とか言ってたから、その時に話になったんじゃねーの?」
「うちのゼミで彼女居ないの俺だけだし、ターゲットにしやすいとかでさ」
「みんなで金出しあって買ってさ、超無駄使いーとかって酒入ったテンションでさ」
「駅の近くのハンズで売ってるだろこれ。あそこらへんなら飲み屋も多いし」
「そんで辻本がなんかのゲームで負けちゃったんだよ」
「それがあっての昨日、ちょうど俺が一人でタバコ吸ってて、ちょうど良かったとかなんだって」
「罰ゲームじゃん、やりなよー。あいつちょうど一人じゃん。あ、独りの間違いかアハハーみたいな感じで」
「あの後、きっと俺の見えない所で笑ってるに違いない」
「超キョドってるし受けるーとか言って」
「女子高生かっつーの」
「だってそうじゃなきゃ辻本が俺にこんなのくれるわけねぇもん。なんかのイタズラなんだよ」
二十二回目の水が流れ込んだ。
「……きっと」
――――――――――◇――――――――――
佐藤は一度部屋に戻り、本棚を漁った。不揃いの漫画本と、レジュメの間からビニール袋につつまれた厚紙を取り出す。
厚紙の中には、ゼミの集合写真。
ぶすっとしたままの佐藤と、そのすぐ左後ろで不敵に笑う辻本。ゼミの人数が少ないおかげで、それぞれの顔まではっきりと分かる写真だった。
一瞬躊躇した。
「まさかね」
などと言いながらも、写真を手にバスルームへ向かう。
バスルームではよく熱くなった四十五リットルのお湯が待っていた。
そしてその傍。蓋が閉まったトイレの上には、例のカップ麺。
ーーカップを持って、好きな異性のイメージを念じてーー
カップを持ち上げ、佐藤は少し固まった。
今、俺は、何をしようとしている?
誰の顔を見ている?
誰の顔で、何をしようとしているんだ?
喉がぐびりと鳴った。
「待て。待て待て。落ち着け俺。クールになるんだ。素数はわからん」
混乱しているのだろうか。きっとそうだろう。
今の今まで、まるで初体験の時のようにドキドキしながらもワクワクしていた。素直に言えば楽しかったのだ。新しいおもちゃを試すような気分だった。
しかし、こうやって実際に引き返せない、決定的な〝想像〟をしてしまうと、まさに逃げ場がなくなってしまう。
今までのように、一人ボケツッコミでかいくぐることが出来ない。
佐藤は、カップを置いた。
そしてそのまま力なく部屋に戻り、
冷蔵庫を開け、
昨日残した缶チューハイのうち一本を取り出し、
一気に飲み干した。
「……ぶはっ!」
がつん! と冷蔵庫の上に空き缶を叩き置く。酒に強い佐藤も、三五0ミリリットルの一気飲みはさすがに応えたのだろう。顔が真っ赤っかだ。
まるで湯気でも出そうな顔色のまま、ダッシュでバスルームまで戻る。右手にカップを、左手に写真を持ち、堅く目を瞑り、考えられる限り全力で、頭の中を彼女でいっぱいにした。
細い身体、三白眼、少し茶けた長い髪、小さな輪郭、ニヤけた笑顔、タバコが嫌い、アルトボイス、関西弁、左頬にある小さなホクロ……。
「……!」
どれくらい念じただろうか。時間はともかく、力一杯念じたあと、おもむろに、まさしくおもむろにカップを包んでいたビニールを破り捨て、蓋を開け、中身を全てお湯にぶちまけた。カップ麺によくある小さな調味料などなく、中は全て粉。いや、一瞬何かが光ったので機械もあったのか? ええいめんどくさい気にするな。とにかく開けたそのままをひっくり返し、風呂の蓋をパタパタと閉め、無意識にスマートフォンのタイマーをセットした。ここだけはカップ麺と一緒だ。これで終わりだ。
「……はぁ……はぁ……はぁ……。あー……ははは……やっちまった……」
風呂の蓋を閉め、そのまま床に座り込む。空になったカップがコロコロとユニットバスを転がって行った。
――――――――――◇――――――――――
三分後。
恐る恐る蓋を開けてみると、そこにはたっぷりとあったお湯が一切無くなり、代わりに裸の辻本が鎮座していた。
今にも起き上がってしゃべり出しそうな辻本が、三角座りの状態で狭いバスタブに入っている。小さい顔、長い髪、スリムな体つき。まさしくもって辻本そのものだ。
「うおお……これは……」
触れてみる。暖かい。むしろすこし熱かった。体から湯気がたっているトコを見ると、やはりお湯から作ったのだと分かる。
顔も、身体も、まさしくそのまま辻本だった。もちろん、彼女の裸など見たことがないので、普段見ているスタイルをそのまま反映したものだが。
そのせいだろうか、各所にズレのようなものがあった。
「なんつーか……胸がデカイ」
すぐにそこに目が行くあたり、さすが盛りの二十歳である。
だがズレはそこだけではなかった。
「胸もデカいし、背も低いし、ほくろも反対だ。イメージ間違ったのかな……」
もしくは、イメージの中に願望を混ぜてしまったか。
床に転がったままのカップを取り、説明書きを読み直す。
そこには、イメージ通りに出来ない事がありますと書いてあった。
「やっぱインスタントだもんな」
頬をつついてみる。
無表情のままだったが、すこし眉がゆがんだように見えた。〝行為〟に反応、というのはこういうことだろう。
気がつけば、インスタントラバーは佐藤の顔を見ていた。
顔を動かしても目で追ってくる。ということは、そいう機能だということだろう。先ほど光った何かがそうさせているのだろうか。
「見つめ合う事が出来るわけだ。おしゃべりできねえな、こりゃ」
そもそもそんな機能はないのだが。
インスタントラバーの使用方法は、何もセックスだけではない。例えば失ってしまった人や、遠く離れて会えない人に、形だけでも会いたいという願いを叶える道具としても需要がある。むしろ販売元としてはそちらをメインに売り出しているのだ。
反応する、という時点でこっち方面もまた見込んでいたのは間違いないだろうが。
しかしなんにせよ、彼は作ってしまった。
辻元の、インスタントラバーを。
気づいて居るのか、居ないのか。佐藤は少しにやけていた。
インスタントラバー 01.もらう
それは五月。五月晴れの爽やかな日だった。
大学キャンパスの三階にある、ゼミ用講義室のベランダで男が一人、タバコをふかしていた。パーマがかかったオシャレっぽい、下北沢辺りに居そうな男だ。春の空を見上げ、ぽけっとした顔で半開きの口から煙をはいている。
彼の名は佐藤。今年で大学二年生に上がった、いかにもな大学生。
講義されていたゼミはすでに終わり、メンバーは各々自由に過ごしていた。教室で仲間や教授とダベっていたり、早々に出て行ったり、こうしてタバコを吸っていたり。
「なんで俺、これ吸ってんだっけ……」
あまりのヒマさに思わずひとりごと。メンソールの爽快さが鼻から抜けていく。
そもそも、どうしてこのタバコを選んだんだっけか。ああ、そうだ。好きなあのバンドが歌っていたんだった。なんとなく吸ってみようって選んで、ちょっと大人の気分になったら、あとは本当に習慣になってたんだ。俺の肺は三ヶ月分くらい黒いんだろうな。
「これぞ腹黒、なんつって……」
紫煙が漂う。
この大学に入学して一年と二ヶ月。講義をやり過ごすおおかたの部分を覚え、単位を落とさないように、それでいて苦痛のないようにモラトリアムを楽しむ方法を覚え、そして活用していた。
故郷を出て、夢に見た都会での一人暮らし。今までにない開放感も手伝い、知り合った悪友たちとおよそ考えつく限りの遊びを彼はクリアしてきた。
唯一仲間たちと違うと言えば、彼らは大学もサボリ気味だったが、佐藤はそうしなかった点だ。なぜならば彼の一人暮らしが決定した時、
『必ず四年で卒業しなさい。でなければ殺す』
『選んだ講義は必ず合格しなさい。でなければ殺す』
『必ず卒業までに就職しなさい。でなければ殺す』
『出来ちゃった結婚は許さない。万が一の場合は殺さない。ちぎり取る』
……という恐ろしい四か条を守らされたからだ。
しかも両親は内容を明記した覚書を作り、そこに実の息子のサインと拇印を取ったのだ。これには例の白い営業もびっくりだ。
だが、その契約は有効に動いた。
適度に頑張れば四か条は守れているし、このまま行けば三つ目と四つ目もなんとかなる気がしている。……むしろ、四つ目に限っては破る方法を教えて欲しいくらいだった。
「佐藤くん」
ふと、声がかかる。
振り返ってみると、一人の女子がベランダに出てくる所だった。先ほどまで講義室の中で教授と話していたうちの一人だ。
少し茶色かかった、腰まで届く長いストレートヘアに、三白眼と小さな輪郭。そして、食ってるのか怪しげな程のスマートな体つき。服装もまたそれを強調するかの様な、ピッタリとした黄色いティーシャツに、同じく脚のラインが浮き出るようなローライズパンツ。背も高いのでスキニーな格好が非常に似合う、カッコいいオンナだ。
肩にかけた大きいトートバッグを揺らし、彼女は「よっす」と声をかけた。佐藤もまた「よっす」と返し、タバコをもみ消す。
「今ええ?」
少し低めの声は、チャキチャキの関西弁を語った。
「あ、うん。なんだった? 辻本さん」
「あんな、おもろいモンをめっけたから、佐藤くんにやろおもて」
そう言って辻本は、持っていたバッグからカップを取り出した。端から観れば、大盛りのカップ麺に見えてしまうだろう。
「昼飯?」
「なに? 腹減っとるん?」
「いや、だって、カップラーメンじゃないの?」
「あはは、間違ってもしゃあないわな。でもちゃうねん」
そう言って、辻本はカップを差し出した。
「インスタントラバー」
キョトンとした顔で、佐藤はカップを見た。確かに蓋には「Instant Lover」とロゴがある。
「これが、あの?」
「せや。佐藤くんも男の子なんやから知っとるやろ。ってか、うちより詳しいやろ」
「いやまぁ知っては居るケドさ……」
インスタントラバーとは、その名の通り、お湯を入れて三分待てば恋人が出来るという画期的なダッチワイフのようなモノだ。用途は様々だが、そういう使い方が一番一般的だ。
どういう技術か知らないが、作る前に念じる事で好きな相手を作る事が出来る。身長や体重、スリーサイズといった体つきや顔までもが思うままで、しかも〝行為〟に反応するというのだ。信じられない技術だというのに、値段としては一万円を切るという、非常に安価なアイテムなのだ。
「つこうたこと、ある?」
佐藤は首を振った。
「田中ん家で見たことはあるけど、使ったりとかはないな」
佐藤は使ったことこそ無いが、見たことは一度だけだがあった。友人宅でだ。
有効日時が二十四時間しかないので使わせてはもらえなかった(というよりも使いたくなかった)のだが、その変態的技術に 佐藤は「日本はここまで進化したのか」と驚いたものだ。
「え、なに、田中くん、つこてんの?」
「あー……。黙っといてあげて」
「ええで。佐藤くんからってのは黙っとく。今度オゴってな」
結局喋るのだろう。佐藤は心の中で友達に手を合わせた。
「で、これやねんけど」
ずい、とカップを差し出す。
「要る?」
「んー……」
「何迷っとんねん。いいからもろとけって。はいパース」
そう言って、辻本はぐいっとカップを押し付けた。
反射的に受け取る佐藤。
「つこたら感想聞かせてんか」
「……っていうか、なんで俺にくれるんだよ」
「いやそれがさー。えー……」
「なんにせよ、普通女から男にこういうのあげるか?」
「まぁええやん。つこてよ。返さんでええからね」
どうやって返せと言うのだ。
「明日の二限、フランス語やろ? 休みらしいで」
「え、マジで?」
「ほんまほんま。そしたら佐藤くん、明日まるっとオフになるやん? ええ機会やし、それで」
と佐藤の手にあるカップを指差し、
「溜まったの発散させてまえ。タバコなんて辞めてもぉてさ」
「溜まってねえよ」
「ほんま? タイミング悪かった? ごめんな?」
「タバコのことだよ!」
「んふふ? ほんとはアッチなんちゃうん~?」
「女が下ネタとか、やめとけって」
「あらあら、あんたそんなんやったら女子会とかあかんよ。意外と古臭いなぁ」
三白眼を細くして、ニヤリと笑う。イタズラそうで、彼女に似合う笑い方だ。
ほんなら、ばいなら。と辻本はカップを残して行ってしまった。
佐藤は残されたカップーーインスタントラバーを眺めて、ため息をつく。
「そりゃ……使ってみたかったけど、さ」
無意識に、もう一本タバコに火をつけた。
――――――――――◇――――――――――
午後十一時。
佐藤は酒に酔いながら、もらったカップを自宅で見ていた。ゴチャゴチャとしたこたつテーブルの上に、大きなカップが鎮座している。
カップの蓋はまだ、空いていない。
飲みかけの缶チューハイをどけ、すでに吸い殻でいっぱいになった灰皿を引き寄せてから、タバコに火を付ける。
あのあと、辻本としゃべることは無かった。彼女はどこかへ行ってしまい、佐藤も彼女とは別の講義にでなければならなかった。
そして帰りのコンビニで三つほどの缶チューハイとタバコを買い、家に帰ってはカップを見ながら呑んでいるのだ。
不思議だった。
どうして辻本が……女の子がこんなものを持っているのかということ、どうして俺にくれたのかということ。
そしてもう一つ。どうしてこうして悩んでいるのか、ということ。
「どっかなんかあんのかな……」
どこに何があるというのだろうか。それもまた不思議の一つ。
それだけがずっと心に残っていて、そしてだからこそ不思議だった。こうした大人のオモチャ的なアイテムを人からもらうなど、そうそう出来るものでもない。
タバコを押し消し、すっくと立ち上がる。
「……今日は、やめとこ。そうしよう。うん」
残っていた缶チューハイを飲み干し、ベッドに倒れこんだ。スプリングが悪くなっているのか、ギ、と大きな音が響く。これでは夜中に派手な動きは出来ない。
「昼間なら誰も居ないよな……」
ここは学生が中心に借りている賃貸マンションだ。昼間はみな、学校に出払っている。
……休講でもない限りは。
心に不思議と、そしてどこかに期待を持ちながら、眠りについた。
登録:
投稿 (Atom)